獣がいる、その姿は羊の如くで四つの角、名は土螻という、これは人食いである。
『山海経』
「入れ」
作戦室の扉を開けると、仄かな葉巻の香とカビの臭いが混ざったような淀んだ空気が流れ出てきた。
少しむせ返りそうになりながらも、表情に出さないよう慎重に八木は言葉を発した。
「じづれいじばす」
しまった、と思い振り返ると、忍はしっかりとバラクラバで鼻まで覆い、「入って」と手振りで入室を促していた。
「どうした?」
大尉は訝しげに八木に尋ねた。
「いえ」
八木はバラクラバを鼻まで引き上げ、部屋に入った。
大尉は部屋の中央に並んで立った二人に正対すると話はじめた。
「先の戦闘ではご苦労だった。早速だが、次の任務だ。我々と協力関係にある組織から、ある人物の動向に関する情報が入った。そうだな、仮にその人物をSとしよう。Sは現在三等軍曹として国防軍に潜入中だが、予定されている政府中枢への攻撃に備え我々と合流する手はずになっている。君たちにはSを連れ戻してもらいたい。」
「拉致ですか?」
忍は尋ねた。
「そんなに難しい話じゃない。まぁ聞きたまえ。」
黒板に地図を書き始めた。
「Sの動向に関する情報はかなり詳細に判明している。Sの所属する小隊は人員と補給物資輸送のためこの道を通って北日本へ渡る。ここで車両を襲撃し、Sを連れ出して護送する。さて、ここからが問題だが、この時車両は木っ端みじんに吹き飛ばす必要がある。Sが『行方不明』ではなく『粉々に消し飛んだ』と思わせるためだ。痕跡も可能な限り残してはならない。そのため、今回は君たち狙撃班二人だけで行ってもらう。申し訳ないがバックアップは無い。」
「その、Sとはいったい」
「非常に重要な人物、とだけ言っておこう。」
忍の言葉を遮り、大尉は答えた。
「君たちは粛々とやるべき事をやってくれればいい。」
大尉は手を後ろに組むと二人の周りをゆっくりと歩き出した。
「出発は本日2000。現地へは2200頃到着するだろう。車両が通過する0100までに即席爆発装置を設置し、狙撃位置に着け。車両が来たら運転手と助手を同時に狙撃、それを合図にSは車両を飛び出す。慣性で動く車両がIEDに近付いたら爆破しろ。」
「Sが爆発に巻き込まれる可能性は…」
「Sはその程度では死なん。」
大尉は2人の正面で止まるとベレー帽を被りなおした。
「Sは常に覆面をしているので素顔を知る者は少ないが、独特の『圧』があるので見ればわかる。君たちの流れ弾に当たるようなヘマはしない男なので安心しろ。」
護送対象が曖昧なのは腑に落ちなかったが、大尉の口調は謎の自信を帯びており、忍はそれ以上質問を重ねる気にはならなかった。
「以上!爾後の行動にかかれ!わかれ!」
「わかれます!」
扉を開けるとあたりはすっかり暗くなっており、月明かりが二人の吐息を白く照らした。
(写真:桜乱戦記公式様)
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(写真:サバプラ様)
「よっぽど重要な人物なんでしょうね。」
忍はスコープから目を離さずに答えた。狙撃位置に着いてから一時間あまりが過ぎていた。冷たい土が徐々に二人の体表から熱を奪っていった。
「オムツってさ。おしっこした直後はあったかいけど、時間経つとしんどいよね。」
「来ました。」
カラカラというディーゼルのエンジン音に続き、トラックのシルエットが暗闇にうっすらと浮かび上がった。
「今!」
忍の合図で八木は有線遠隔照明弾発射装置の引き金を引いた。少し離れた位置で照明弾が打ち上げられ、周囲が明るく照らされた。73式大型トラックがたった1台。護衛の装甲車すら付いていなかった。
「撃て!」
考える暇もなく、忍の合図でそれぞれドライバーとコドライバーを狙撃した。計算通り、車両は慣性でIEDの位置まで前進した。激しい怒号と共に車両後部から兵士たちが飛び出した。忍がトリガーを引くと道に埋められたIEDが大量の土を巻き上げながら炸裂した。怒号はすぐに悲鳴に変わり、辺りは地獄絵図と化した。爆弾に配合されていたガソリンはトラックと周囲の兵士を包み込んで激しく燃え上がった。
生存者を「処理」しようとスコープを覗き込んだ二人の目に飛び込んできたのは信じ難い光景だった。
「あれ…マジか…」
覆面を着けた国防軍兵士が1人、暴れる別の兵士の頭部を銃床で殴りつけている。その兵士は動かなくなった兵士を引きずると、暖炉に薪でもくべるかのように、燃え盛るトラックの中へ放った。1人、また1人と生存者は炎の中へと「くべられて」いった。
「あれが、Sでしょうね。」
2人は念のため拳銃を抜き、男の方へと近づいていった。男は2人の存在に気付くと、小銃をゆっくりと地面に置き、両手を宙に上げて見せた。
「寒い中迎えに来ていただき、あが、ありがとうございます。えー、助かりました。」
男の物腰は柔らかく、先の所業が信じられないほど礼儀正しかった。
「Sですか?」
忍が尋ねると、男は少し首を傾げたが、すぐに「あぁ、なるほどね。」と小さく独り言を言い、忍に握手を求め手を差し出した。
「Sです。多分、君たちが僕とここで接触した事は、内緒にしておいた方がいいですね。君たちの指揮官は優秀です。」
釈然としない気持ちはあったが、二人は握手を交わし、帰路に就いた。
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「ご苦労だった。Sを乗せたヘリはつい先ほど本隊と合流すべく出発したところだ。」
大尉は葉巻に火をつけ、ソファに腰掛けた。
「さて、君たちが帰還した直後に興味深い情報が届いた。」
ゆっくりと吸い込んだ煙を一気に吐き出すと少し身を乗り出し、大尉は続けた。
「君たちが爆破した車両が運搬していた物資というのは、大量の金塊だったらしい。この事は車長含め一部の人間しか知らなかったという事だ。」
「何故?」
忍が尋ねると、大尉はまたフーッと煙を吐き出した。部屋に煙が充満し、靄がかかっていった。
「北日本の国防軍の兵力増強と友好組織への支援という名目だ。」
「名目?」
大尉は目を細め、膝の上で手を組んだ。
「軍曹、秘密裏に金塊を輸送中の車両にSが乗っていた事、これ程詳細な情報が絶妙なタイミングで国防軍側からもたらされた事、偶然だと思うか?今回の件も恐らく、ただの人員輸送中の車両が反乱軍の地雷を『偶然』踏んだ『不運な事故』として処理されるだろう。」
忍と八木は顔を見合わせた。
「国防軍も一枚岩では無いという事だ。だからこそ君たちが離反するまで君たち『土螻』のような存在を秘匿することも出来たんだろう。社会的弱者の半強制的徴用、洗脳的国粋主義教育による動機付けと非正規戦闘への積極的参加による第一線急襲部隊の超短期育成。国防軍もいよいよ焼きが回ったな。」
「ともかく。今回の件は全て仕組まれていたといっても過言では無いだろうな。」
「いったい誰が…?」
今度は八木が尋ねた。
「我々に軍資金収奪の機会を与え、戦争が長期化する事で儲かる連中がいるだろう。」
大尉は葉巻を親指と一指し指の腹でコロコロと転がしながら続けた。
「戦いが続けばより多くの怪我人が出る。怪我人が出て喜ぶのは誰だ?我々奪還同盟や多くのセクトは銃器を輸入に頼らざるを得ないが、銃器の輸入が増えて喜ぶのは誰だ?」
「まさか」
八木は身を乗り出した。
「私の見立てでは、金塊ごときよりも巨大な金が背後で動いているな。戦争というのはそういうものだ。」
大尉は灰皿に葉巻を押し付けて火をもみ消した。
「我々にとっては郷土の奪還だが、君たちにとっては復讐かもしれない。また、ある者にとっては大きなビジネスチャンスでもある筈だ。立場が違えば見え方も違うだろう。」
しばし沈黙の時間が流れた。大尉は鋭い目つきで二人を見つめていたが、遂に耐えられないといった様子で吹き出した。
「冗談だ。これは私の仮説だよ。なんの根拠もない。たまには陰謀論というのも面白いものだろう?」
大尉はトレードマークの戦闘マスクを装着し、2人に向き直った。
「というわけで。戻ってきてもらって早々で済まないが、出発するぞ。小銃班を叩き起こせ。」
呆気に取られる2人の顔の前で大尉はパンッと一度手を叩いた。
「寝ぼけてるなよ!気合いを入れろ!私の読みが正しければ、金塊を回収しにくるのは首謀者の息がかかった精鋭部隊だ!セクトどもも動き出しているかもしれん!!」
大尉は壁に掛けたAKを掴むと勢いよく作戦室のドアを開けた。
漆黒だった空は深海のような紺色へと変わっていた。
また長い1日が始まる。
(写真:桜乱戦記公式様)
(写真:UMA様)
桜乱戦記第一章 第五話「金本位制の野心」へ続く
※実在人物、団体、事件とは一切関係ありません。
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