2019年2月3日日曜日

ヴァルハラ ~終末生存~


 世の中には2種類の人間しかいない。持つ者と持たざる者だ。先の大戦で家と財産を失って以来、ジャンク品拾いでその日暮らしを続けているこの2人の男はまさに持たざる者の達の筆頭と言えよう。だがそんな暮らしも、今日で終わる。筈だった…
「兄貴~、まだ着かねえのかよぉ。もう腹が減って動けねえよ…」
「この丘の稜線まで登れば、ヴァルハラが見えてくる筈です。もう少しの辛抱ですよ。」
わざとらしく足を引きずって歩くヤギカスを激励しながら、シノブはポンチョのフードを脱いだ。遥か彼方で、人の声とギターの音色が聞こえた。ついに、辿り着いた…!
シノブは「まっでぐれー」と叫ぶヤギカスを置き去りに最後の数十メートルを一息に駆け上がった。丘の頂上から見えたその砦は最後の希望に見えた。









 ヴァルハラの中では焼けた肉やスープの香りが充満し、音楽と笑い声で溢れていた。露店では今まで見たこともないような武器や装備が売られており、人々の装いも実に多様だった。
「はぇ~。兄貴、SVDが売ってる!こっちはミニガン!俺たちも何か買おうぜ!金ならあるんだし!」
ヤギカスはポーチからつい先ほど換金した300vlを取り出し、悪い男子の笑みを浮かべた。
「そうですね!でも、まずは腹ごしらえです。もう3日もまともに食べてませんからね。」
ヤギカスの300vlをポーチに戻させながら、シノブは目で食事処を探した。これだけ近くで肉の香りがするなら、目に入る範囲に看板の一つくらいはあってもおかしくない。しばし探し回った後に、ようやく「肉」の文字を見つけた。だが、それがあったのは意外な場所だった。
「へいらっしゃい!何にしやしょうか。」
「えっと、『馬鳥』の肉を売ってほしいのですが、ここって故買屋ですよね?」
その恰幅のいい故買屋の店主は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに事情を察したようで少し小ばかにしたような笑みを浮かべた。
「ヴァルハラは初めてかい?ここじゃぁな、この故買屋が流通の全てを取り仕切ってんだ。そこの露店も、その炊事場も、便所も、全て故買屋が仕切ってる。もちろん食材もな。何でかわかるか?」
シノブは「寡占」という単語から回答を始めようと口を開きかけたが、故買屋は手のひらを突き出して遮り、話を続けた。
「それは俺が金持ちだからだ。これが資本主義って奴だ。」
面倒くさいタイプの人だ。シノブはヤギカスに「これあんまり会話続けてもメリットないしかったるいだけなので必要最低限の会話だけしてさっさと立ち去りましょう」とアイコンタクトを送った。
「なるほど。ではウサギ肉と鹿肉を2人前下さい。」
「いいだろう。だが注文するからには金はあるんだろうな?」
「ここに二人合わせて600vlあります。」
店主は心底可笑しそうにテーブルを叩いて笑い、目の前に差し出された600vlを押し戻した。
「馬鹿言っちゃいけねえ。こんなんじゃパン1つ買えねえ。肉が食いたきゃせめて1人1000vlは用意しな。」
「そんな…この600vlだって今の我々の全財産なんですよ!」
「売れねえもんは売れねえ。欲しいものがあるならそれに見合った金を払え。そうでなければ諦めるんだな。それが資本主義って奴だ。」
「おっさんその言い回し気に入っっぶ」
悔し紛れに嫌味を言おうとしたヤギカスの口を塞ぎ、シノブは故買屋に尋ねた。
「ここではジャンクの換金もしてくれるんですよね。今から外に出てジャンクを集めてきたら、その分のお金で食事ができるんですね。」
「ああ、物理的にはそうだ。だが今から出るのは勧めねえな。」
「というのは?」
故買屋は声のトーンを落として言った。
「このあたりは夜になるとビーストが出るんだ。知らねえと思うから教えてやるが、ビーストってのは人喰いの怪物だ。一説には突然変異した熊とも核弾頭で起こされた恐竜の生き残りとも言われてるが、正確なことはわからねぇ。奴の姿を見て帰ってきた人はいねえからな。みんな翌日八つ裂きにされた姿で見つかるんだ…。」
「んふっ」
「ひゅっ」
あまりに真に迫った語り口に思わず押し殺しきれなかった笑い声が漏れると、故買屋は機嫌を損ねたようで、顔を赤くして怒鳴った。
「せっかく教えてやってるってのに何だ!行け行け!勝手に八つ裂きにされて死ね!」
シノブとヤギカスは逃げるように故買屋を後にし、腹の音を響かせながら眠りについた。

 翌朝、日の出とともに2人は砦の外へと赴いた。塹壕跡や廃屋の中など、何も無いように見えて金目の物は案外転がっているものである。もっとも、この時代ではガチャガチャのカプセルのようなガラクタでも換金の対象になるほどに「金目の物」の基準は下がり切っていたが。
「兄貴~。もうそろそろいいんじゃねえの?これだけあればカエルの肉くらいは食えそうだぜ。」
「まだです。昨日ここの銃弾の値段を見ましたよね?今晩はカエル肉で我慢するとしても、明日の探索のために弾薬の補給はしなくては。」
「そりゃそうだけどさ…どうせまた飯と弾でスッカラカンだ…」
探索には常に危険が付き物である。野生動物だけならまだいいが、時には他のスカベンジャーと物資の取り合いになることもある。そうなれば銃撃戦は避けられない。事実、これまでも幾多もの死線を潜り抜けてすんでのところで生きのびてきたのだ。銃弾はあってもありすぎる事はない。
ダンダンダンッ!!
「銃声!」
突然の破裂音に2人は反射的に身を伏せた。スカベンジャーとの戦いはいつもこうして始まる。だが今回は少し様子が違った。
「着弾音、聞こえましたか!?」
「いや、多分、狙ってんの俺らじゃないんじゃないの!」
ダンダンダンダンダンッ!アッー!
今度は銃声の後に悲鳴のような声が聞こえた。シノブは確信した。どこかで戦闘が行われている。そして、今こそ漁夫の利を狙う最大のチャンスである。
「行きましょう。うまくすればジャンクをせしめることができると思います!」
身を屈めながら2人は銃声の方向へと走った。そして、静かに、ゆっくりと物陰から顔を半分だけ出して銃声の主を確認した。



「あれは…ジャガーノートです!」
「何それ!?」
ジャガーノートとは、新政府がスカベンジャー狩りと資源回収のために組織運用する重武装兵である。強力な火器と強固な装甲を与えられた、戦闘マシーンとも言える存在である。
「装甲の隙間を狙います!」
「了解!おとりになる!」
シノブとヤギカスは二手に分かれ、L字になるように位置取った。



「へいへい!こっち!」
ヤギカスがわざと体を出しては引っ込め、また別の場所から顔を出しては引っ込めて気を引く間に、シノブはジャガーノートの膝の裏や脇腹に狙いを定め狙撃した。
「硬いです!隙間に当てても跳ね返ります!」
「これならどうかな!!」
シノブの頭上の木の枝から突然スカベンジャーが降り立ち、銃を乱射した。


「装甲の隙間じゃねえ!モーターを狙うんだ!奴はパワーアシストが無きゃ自重を支えられねえ!!!」
何処からともなく別のスカベンジャーが姿を現し、ジャガーノートに銃弾を浴びせた。その後も次から次へとジャガーノートに向けられた銃口は増えていった。ジャガーノートはマシンガンを乱射するが。標的が多すぎて1つに絞れずにいるようだった。
とうとう四肢のモーターを撃ち抜かれ、ジャガーノートはその場に膝から崩れ落ちた。
「ようし、剥ぎ取るぜ。」
スカベンジャーの1人がジャガーノートに向かって歩き始めた。
パパンッ!
銃声が響き、そのスカベンジャーの足元の土が舞い上がった。スカベンジャーはチッと舌打ちをすると壁の後ろへと隠れた。ジャガーノートは貴重な武器と金属、弾薬の塊である。ジャガーノート1体分の物資を持ち帰れれば暫くは食うに困らない。当然、ここで争奪戦が起こらないわけもなかった。

 膠着状態が何時間続いただろうか。距離の近いスカベンジャー同士での協定や裏切りの末、戦いがジャガーノートを挟んだスカベンジャー同士の戦争の様相を呈し始めてから、既に太陽の位置が大分変ってしまっていた。そしてついに、日没への秒読みが始まった。
「兄貴…ビーストってのは、本当にいるのかな。」
「さぁ、どうですかね…。いるとしたら、そろそろ戻らないとまずいですね。」
味方になったスカベンジャーの表情を見ると、明らかに焦りの色がうかがえた。暗くなることや空腹への苛立ちとはあきらかに別種の、感情。恐怖心からの焦燥だ。
「停戦だ!」
先程撃たれかけた男が声を上げた。
「停戦にしよう!このままここにいちゃみんなビーストにやられちまう!ジャガーノートは山分けにしよう!」
シノブは耳を疑った。ブラフのつもりなのか本気なのか、いずれにせよ大声を上げて自分の位置をバラすのは今は得策ではない。しかし男はシノブの心配をよそに、銃をその場に置くと、両手を上げて夕日に姿を曝した。シノブは銃声と人体への着弾に備え身を強張らせた。張りつめた空気の中、鳥の羽音だけが響いた。ジャガーノートより少し先の草むらの中で、人の動く気配がした。一つ、また一つと太陽を背に人影が姿を現した。全員、丸腰である。
「正気ですか…?」
シノブはマントの下で密かにリボルバーを握りしめていた。このさすらいの日々、失うものばかりで得るものは何もなかった。あったとすれば、「他人は絶対に信用するな」という教訓くらいである。それだけに、目の前の光景は異様なものに見えた。
スカベンジャーたちは互いに手のひらを見せながらゆっくりとジャガーノートに近づき、1人ずつ順にジャガーノートの装備を手に取り、元来た道を引き返して行ったのだった。呆然と立ち尽くしているシノブのもとに先程の無謀なスカベンジャーが歩いて戻って来た。そして無言でジャガーノートの部品を、シノブの銃を持っていない方の手に握らせ、去って行った。







 「20000vlだとよ!!!俺と兄貴で2人で40000vl!!大収穫だ!」
シノブは故買屋の前で札束を大事そうにポーチにしまい込むヤギカスを眺めながら、夕方の出来事を回想し「たまには人を信用してやってもいい」と信念を改めようと思った。
「おい!肉!どれにする!?全部いけるぞ!ウサギと鹿と牛とカエルと、あとパンとスープも行ける!おいおっさん!欲しいやつは皿に盛ればいいんだな!?」
ヤギカスの皿に盛られていく食糧はこの一週間で食べた量に匹敵していた。
「ああ、盛った分は全部買い取ってもらうけどな!」
「あたりめえだろ!」







シノブも負けじと皿に肉を盛りながら、店主の言い回しに若干の違和感を覚えた。人を信じようと信念を改めた矢先である。今ここで店主に疑念を抱いてしまったら、これまでの自分と同じではないか。一生人を疑ってかかる生き方で本当にいいのだろうか。しかし…
「あの、店主。因みにですが、今の段階で二人の会計額はいくらくらいになりますか?」
「ん?合計でか?40000vlだな!」
「ファ!?」
店主はガハガハと腹を抱えて笑って言った。
「これがインフレ経済って奴だ!盛った分は、買い取ってもらうからな?」
もう一生人は信じないとシノブは今度こそ心に誓った。

photo:ヨハンソン氏




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